ofellabuta

初恋のようにドキドキ 初潮のようにショック 少女趣味的エロスをテーマにあなたを誤射する

またちょっと風邪がぶり返した模様。

「週刊少年ジャンプ 2015年2号」読了。

今日は早めに寝ることにする。

犬の散歩中、ふとクリスマス時期になると良く耳にする「チャララ、チャッチャッチャララ、チャッチャチャラララ〜」という曲のタイトルを知らないことが気になりだして、そういえば Siri は鼻歌検索できるようになったのだと思い出し、iPhone に向かって「チャララ、チャッチャッチャララ、チャッチャチャラララ〜」と歌ってみたが、結果は判らんとのこと。家に帰って調べてみたら、1948年にアメリカの作曲家ルロイ・アンダーソンが作曲した「Sleigh Ride(そりすべり)」という曲であることが判明。

Bing Crosby – Sleigh Ride (1952) – YouTube

このルロイ・アンダーソンという作曲家、小学校の時、給食の時間にやたら良くかかっていた「The Syncopated Clock」や「The Typewriter」も作曲しており、名前は知らねども曲は何ども聴いたことのある馴染みの人であった。

もしかして「口笛吹きと犬」も同じ人かと思ったら、これはアーサー・プライアーというアメリカのトロンボーン奏者の作曲だった。

「フェルマーの最終定理」サイモン・シン、少し読み進める。

珍しくバイトではなく、本業の方で休日出勤。

「ジーヴス狂騒紳士録」勝田文を買って読む。イギリスのユーモア作家、P・G・ウッドハウスの小説「ジーヴス・シリーズ」をコミカライズしたものだが、5冊目の単行本にして完結とのこと。好きなシリーズだっただけに残念。

「電人ザボーガー」井口昇監督を観る。1974年のピープロ制作の特撮ヒーロー物を2011年に映画化したもの。監督の井口昇はザボーガーのファンだったらしいが、単にネタとして笑いモノにしているだけで原作に対する愛情が微塵も感じられない。山口暁のオーバーなアクションやブル・ガンダーのしょぼい造形など今観ると確かに笑ってしまう部分もあるけれど、今更そういった部分をことさら強調して雑なパロディとして映画化する感性はどうしようもなく下劣だ。虫酸が走る。

昨晩、腹を下してなかなか眠れず。朝、起きると風邪気味で葛根湯と栄養ドリンクを飲む。

「フェルマーの最終定理」サイモン・シンを読み始める。

そうそうに就寝。

朝から雨、夜には止んだ。

昨日から寝込んでいる家人、熱は下がったとのことでひとまず安心。

仕事帰りに中百舌鳥の天牛堺書店で古本の文庫を2冊。「ビブリア古書堂の事件手帖5」三上延、「フェルマーの最終定理」サイモン・シン。

「死刑長寿」野坂昭如、「週刊モーニング 2015年1号」読了。

今日も寒い日。

家人は熱を出してダウン。夕飯は買い置きしていたいなばのインドカレーとレトルトご飯をレンジでチン。インドカレーだが生産はタイ。美味しいけどあまり辛くはない。

野坂昭如「死刑長寿」続きを読む。表題作「死刑長寿」と「子供は火事の子」。「子供は火事の子」の方に次のような記述があった。

蔵泥棒、ムスメ師の話になった。堅い壁に孔を空けるからムスメ師の、意味が判らなかった。

「ムスメ師」という言葉、辞書を引いてみたらちゃんと載ってた。盗賊の隠語で土蔵破りの意とあるが由来は書いてない。

「悪の教典」三池崇史監督を観る。貴志祐介の同名小説を映画化したもの。主演の伊藤英明は良いけれど、思ってた以上にダイジェストな内容だった。原作の貴志祐介の名前がキャストのクレジットに載ってだけど、何の役で出てたんだろう?

昼間はそれほどでもなかったが朝晩はなかなかに寒い。

「死刑長寿」野坂昭如 文春文庫を読み始める。2000年代になって書かれた作品を集めた短編集。最初の「エレクションテスト」だけ読み終えた。高齢化対策として65歳以上のインポの男性は安楽死させるというデストピアもので、エレクションテストという名のM検が復活するという話。70年代の筒井康隆が書いてそう。しかし、戦前、戦中派の人はM検好きだな。

その「エレクションテスト」の中、不況の日本を描写するくだりに「株はアメリカに仕手やられている」という記述があって引っかかった。辞書を引いてみると「してやられる」は「為て遣られる」が正しい。「仕手やられている」は「仕手株にやられた」をかけた野坂昭如の当て字か。

「号外 OnBlue Vol.2」読了。雲田はるこのBL作品としては2年ぶりとなる新作はまぁ可もなく不可もなくといった印象。「OnBlue」初登場のハヤカワノジコ「糸も絶易く」、肩から3本目の腕が生えてくる男の短編。要注目。

最近読んだ「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」(スーザン・A・クランシー著/林雅代訳 ハヤカワ文庫)という本の中に、「アイリッシュファクト」という言葉が出てきた。アイルランドの「本当は事実でないが事実のような話で、話の流れをよくするために必要なもの」として語られるものらしい。民俗学でいう世間話の一種ともでも考えれば良いのだろうか?

なかにはーーたとえばわたしの家族などーー記憶が再構築されていようとあまり気にしない人もいる。ハーバード大学の教授で、アイルランドの伝統的な生活に参加しながら観察を行っている、保守的な紳士のブレンダン・マーハは、〈アイリッシュ・ファクト〉のコンセプトをわたしにはじめて教えてくれた人だった。アイリッシュ・ファクトとは、「本当は事実でないが事実のような話で、話の流れをよくするために必要なもの」である。おそらく本当ではないけれど、本当であるべき話なのだ。わたしの親類は「わたしがつくった話だけど、本当だと信じている」とよく言っている。わたしはアイリッシュ・ファクトを聞いて育った。おかしくて突飛な話が、むかしから各家庭で代々語り継がれているのだ。こんな話がある。ドニー・マレーはビールを一、二杯飲んだあと、セント・メリーズ高校の寄宿舎からガールフレンドを連れ出そうと思い立ち、ビリー・フラニガンの庭にあった消防車をハイジャックして、ガールフレンドを寄宿舎の窓から引っ張り出すことにした。だが、引っぱる相手をまちがえたらしく、足をばたつかせて叫びながら出てきたのは、べつの女の子だった。その後ドニー・マレーは、「火事よ!火事よ!」とヒステリックに叫んでいる女学生全員を避難させるはめになった。これは本当の話なのだろうか? もちろんだれにもわからない。だが、本当であるべきなのだ。そして、人に伝えられるたびに、ますます本当たしくなっていくのである。

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」スーザン・A・クランシー著より

Irish Facts で検索してみてもアイルランドのトリビア的な記事が大量に出てきて良くわからない。

今日から12月。

朝、「号外 OnBlue Vol.2」を少し読む。

通勤の地下鉄の中で「週刊少年ジャンプ 2015年1号」を読了。

小畑健が2年半分ぶりに新連載「学糾法廷」を開始。小学校を舞台にした法廷もの?「ダンガンロンパ」を子供向けにした感じだろうか?「デスノート」とも「バクマン」ともまた違う絵柄。巧いというより小器用という印象が強い。「おばたけん」ではなく「おばたたけし」と読むことを今更知った。

菅原文太の訃報。先月28日、肝不全で死去、享年81歳とのこと。先日、dビデオで「仁義なき戦い」シリーズを見たばかりだった。同じ職場の人が「『千と千尋の神隠し』の釜爺の人」と言っていた。若い人にとってはそういう存在なのだと感心する。

Qiitaに昼間仕事で書いたWPFのCanvasをビットマップに落とすコードに少し手をいれて投稿する。

Swift の勉強の方ははかどらず。