山田風太郎「戦中派不戦日記」5月3日の日記より

◯午後皮膚科授業中、蝋製の各皮膚疾患の模型を見る。

 或いは腹部の皮斑、乳房の丘疹、頭部の結節、肩部瘤腫、胸部の膿疱、顔面の水疱等、患部はもちろん、その肉体の色、ふくらみ、小皺、毛穴、毛髪等あたかも生けるがごとく、実にぶきみなるほどみごとなる蝋人形なり。

 余ははじめほんものなるかと思い、触るるに固く、いかにしてかくまで見事に腐敗を防ぎしならんとふしぎにたえざるほどなりき。

 三分、五分熟視するに、この蝋人形実物の人間以上に妖しき美、肉感を以て余の情感を襲わんとす。ああ、この手腕を以て天下の美女を製作せば如何。往来三町に見る百人の凡女凡婦の生けるより優れることいくばくぞ。この病的陶酔、この不可思議なる恍惚、余ははじめてポーやボードレールの感興を悟り得き。

「戦中派不戦日記」 山田風太郎著 講談社文庫 1985

イリヤ・イワノフの「ヒューマンジー」実験

ソビエトは自分たちがいかに科学的で、帝国主義者よりも正しく進化論を理解しているかを、やっきになって証明しようとした。その結果、ミハイル・ブルガーコフの小説を思わせるシュールな出来事が起こる。一九二六年、イリヤ・イワノフという名の科学者が、人間が類人猿の子孫であることを証明する実験の承認を得た。その実験とは、人間とチンパンジーを掛け合わせた「ヒューマンジー」を作るというものだった。イワノフは西アフリカにあるフランスの研究施設に赴き、三頭のメスのチンパンジーに人間の精子を人工授精する。しかし、その際、イワノフは時分の精液は使用しなかった。なぜなら彼は、ヨーロッパ人よりもアフリカ人のほうが類人猿に近いという植民地主義的な思想の持ち主だったからだ。実験は失敗に終わるが、イワノフはその後、世界で初めてチンパンジーの人工繁殖させ、ハバナ郊外に大きな動物園を所有していたキューバの資産家、ロサリア・アプレウに近づく。イワノフは彼女が飼育するオスのチンパンジーの精子を使い、後に「G」と称されるロシア人志願者に人工授精を試みようとしたが、この事実は公表されず、Gはその後歴史から姿を消した。

「ほとんど想像すらされない奇妙な生き物たちの記録」カスパー・ヘンダーソン著 岸田麻矢訳 エクスナレッジ 2014

YouTube : Joseph Stalin’s Humanzee Experiments [FULL DOCUMENTARY]

女馬賊 中島茂子

女馬賊の中島茂子は、孫文が日本で中華革命党を結成し、中国に渡るとき、日本から一緒に同行した福島県出身の看護婦でもあった。中国に渡った後、満州馬賊に転身し、満州各地に点在していた馬賊や河賊を、関東軍に帰順させていくことで、大いに貢献した満州女馬賊の大物でもあった。

そして当時から、身長の王族であった川島芳子に、強い対抗心を燃やしていた。

戦後三十年を経て取材したときも、関東軍に貢献したのは、数々の謀略工作を行った川島芳子より、満州女馬賊の中島茂子だと強調していた。

その満州女馬賊の中島茂子は、太平洋戦争の終戦直後に、山下泰文大将からの密書を依頼され、スターリンに届けるために陸路ソ連に向かった。その途中、毛沢東軍の捕虜になり、そのまま戦後三十年間、中国で監禁状態のまま拘束されることになった。

三十年後に釈放され、日本に帰国した女馬賊の中島茂子と、東京上野のレストランで食事を取りながら、本格的に取材に入る前段階の雑談を、中島氏と土肥静加氏、私の三者で何度か繰り返し席を持った。そのときの雑談のなかで、ピアス・アパート四階四十七号室の里見機関代表里見甫の名が、上海裏社会の大物実力者、『中国大陸の阿片総元締め』として度々話題にのぼった。

それ以来、里見機関代表里見甫に関する資料収集が始まることになった。

余談になるが、中島茂子氏とは、本格的な取材の当日に、本人が姿を消して会えない状態なった。伝え聞いた情報では、取材当日に台湾に飛び、そのまま姿が消えたと聞いている。そのため取材は、出来ないままになった。

「阿片王一代―中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯」千賀基史著 光人社 2007

絵ハガキの年代判定法

今度は、年上の淑女がちかづいてきた。彼女も有名大学の先生である。彼女は、絵ハガキの年代を特定することについて、質問された。絵ハガキにくわしい人ならご存知の情報で、わたしもくわしいかたにおしえていただいたから、それを説明する。

わたしのみているのは絵の部分だが、年代は、宛名の面からある程度わかる。宛名と通信文を区切る位置。通信文と住所を区切る線が三分の一に引かれているか二分の一かである。前者なら、明治四十年(一九〇七)から大正七年(一九一八)二月まで。後者なら大正七年三月以降である。ただし例外もあって、三分の一なのに大正七年以降の場合もあるので、注意しなければならない。でもそのぎゃく、つまり二分の一なのに大正七年以前ということはない。

質問してくださったので、おおよろこびで説明した。すると、説明の途中から、淑女先生の表情はどんよりしはじめた。説明が終わると、

「私は、そういうことに興味ないから」

と言って、去って行った。

「わたしは菊人形バンザイ研究者」 川井ゆう著 新宿書房 2012 より

明治三陸地震の菊人形

明治二十九年(一八九六)六月、三陸地方に大津波があった。三万人近い死者がでたという。それが東京の団子坂の菊人形の場面になっている。団子坂は、いまの東京都文京区にあり、明治九年(一八七六)には、菊人形が「興行化」されていたところである。

たまたまその場面を米国の女性がみていた。

それは緑の葉と白の花びらの波が村めがけて襲い、家々を破壊し、四肢が放り投げ出される光景はあまりにも現実的で愉快ではなかった。
(HARTSHORNE, Anna C, Japan and Her People, Kegan Paul, Trench, Trubner, 1904)

自然災害が菊人形の場面になったのである。明治二十九年といえば、情報収集には、新聞があるくらい。現代のわたしたちには、想像するのがむずかしいが、ラジオがない。もちろんテレビもないのである。

なんでも三陸の辺でたいへんな津波があったらしい。

という以外、情報は、うわさの域をでない。視覚的情報は、新聞には写真が載っているけれども、いまとくらべると、写りがわるいし、ほとんどないといっていい。だから、大津波の菊人形の場面をみに行くことは、わたしたちが、平成二十三年(二〇一一)三月十一日の東日本大震災における津波の情報をテレビにもとめるのとおなじだともいえそうなのである。

「わたしは菊人形バンザイ研究者」 川井ゆう著 新宿書房 2012

wikipedia:明治三陸地震

寄生虫ダイエットの話

食べたものをかすめ取っていく寄生虫が腹の中にいれば痩せるはずだ、と信じられいた。ヴィクトリア朝時代に、スタイルを気にする女性向けに「サナダムシ・タブレット」なるものが売りだされた。その発想の背景には、「貧乏人は痩せている。そして彼らのほとんどは腹に寄生虫を飼っている」というロジックがあった。その昔、私が子どもだった時分には、食欲旺盛な子どもは「お腹の中に虫でもいるんじゃないの」とからかわれたものだった。寄生虫によって体重減少が引き起こされることは現在ではよく知られた事実だた、それは栄養分を寄生虫にとられるからではない。サイトカインなどの分泌物が脳に作用して食欲を抑えるのである。寄生虫に感染すると、宿主の体内でサイトカインなどの分泌が高まる。これによって食欲の低下が引き起こされ、結果として体重が減少するのである。

サナダムシは大半の寄生虫と同じように比較的無害だが、サナダムシに対する過敏症の人は神経障害を起こして最悪死亡する場合もある。人間に感染する最大のサナダムシは、生魚を食べることによって体内に侵入する。

「世にも奇妙な人体実験の歴史」トレヴァー・ノートン 著 赤根洋子訳 文藝春秋 2012

フランク・バックランドの逸話

フランクはまるで百科事典のような味覚の持ち主だった。「殉教者の鮮血」が出現するという奇跡を調査するため、ある教会を訪れたときのことである。教会の床には、本当に染みが点々とついていた。彼は染みの一つを舐め、一言、「コウモリの小便だ」と言った。コウモリの小便のを他の何者かの(たとえば、ネズミや司祭の)それと区別できるとは、いったい何種類のサンプルを味見したことがあったのだろう。

「世にも奇妙な人体実験の歴史」トレヴァー・ノートン 著 赤根洋子訳 文藝春秋 2012

アイリッシュファクト

なかにはーーたとえばわたしの家族などーー記憶が再構築されていようとあまり気にしない人もいる。ハーバード大学の教授で、アイルランドの伝統的な生活に参加しながら観察を行っている、保守的な紳士のブレンダン・マーハは、〈アイリッシュ・ファクト〉のコンセプトをわたしにはじめて教えてくれた人だった。アイリッシュ・ファクトとは、「本当は事実でないが事実のような話で、話の流れをよくするために必要なもの」である。おそらく本当ではないけれど、本当であるべき話なのだ。わたしの親類は「わたしがつくった話だけど、本当だと信じている」とよく言っている。わたしはアイリッシュ・ファクトを聞いて育った。おかしくて突飛な話が、むかしから各家庭で代々語り継がれているのだ。こんな話がある。ドニー・マレーはビールを一、二杯飲んだあと、セント・メリーズ高校の寄宿舎からガールフレンドを連れ出そうと思い立ち、ビリー・フラニガンの庭にあった消防車をハイジャックして、ガールフレンドを寄宿舎の窓から引っ張り出すことにした。だが、引っぱる相手をまちがえたらしく、足をばたつかせて叫びながら出てきたのは、べつの女の子だった。その後ドニー・マレーは、「火事よ!火事よ!」とヒステリックに叫んでいる女学生全員を避難させるはめになった。これは本当の話なのだろうか? もちろんだれにもわからない。だが、本当であるべきなのだ。そして、人に伝えられるたびに、ますます本当たしくなっていくのである。

「なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか」スーザン・A・クランシー著 林雅代訳 ハヤカワ文庫 2006年8月

「侍女の素囃子と硝子風呂」

「侍女の素囃子と硝子風呂」

鳶魚の随筆に「侍女の素囃子と硝子風呂」(『三田村鳶魚全集』第二巻所収)という読み物があり、筑後久留米の城主九代目有馬頼徳のエピソードが紹介されている。それによると頼徳は、

「ビードロ(ガラス)で造った浴槽を居間に据え、裸の侍女を浴槽の中に入れて、それを見ながらチビリチビリとやっていた」

とある。この殿様と裸の侍女に肉体関係がなかったとはとうてい思えないから、殿様はビードロ風呂の裸女を見ながら感興を高めていたのだろう。

「混浴と日本史」下川耿史 筑摩書房 2013