明治三陸地震の菊人形

明治二十九年(一八九六)六月、三陸地方に大津波があった。三万人近い死者がでたという。それが東京の団子坂の菊人形の場面になっている。団子坂は、いまの東京都文京区にあり、明治九年(一八七六)には、菊人形が「興行化」されていたところである。

たまたまその場面を米国の女性がみていた。

それは緑の葉と白の花びらの波が村めがけて襲い、家々を破壊し、四肢が放り投げ出される光景はあまりにも現実的で愉快ではなかった。
(HARTSHORNE, Anna C, Japan and Her People, Kegan Paul, Trench, Trubner, 1904)

自然災害が菊人形の場面になったのである。明治二十九年といえば、情報収集には、新聞があるくらい。現代のわたしたちには、想像するのがむずかしいが、ラジオがない。もちろんテレビもないのである。

なんでも三陸の辺でたいへんな津波があったらしい。

という以外、情報は、うわさの域をでない。視覚的情報は、新聞には写真が載っているけれども、いまとくらべると、写りがわるいし、ほとんどないといっていい。だから、大津波の菊人形の場面をみに行くことは、わたしたちが、平成二十三年(二〇一一)三月十一日の東日本大震災における津波の情報をテレビにもとめるのとおなじだともいえそうなのである。

「わたしは菊人形バンザイ研究者」 川井ゆう著 新宿書房 2012

wikipedia:明治三陸地震

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