山田風太郎「戦中派不戦日記」5月3日の日記より

◯午後皮膚科授業中、蝋製の各皮膚疾患の模型を見る。

 或いは腹部の皮斑、乳房の丘疹、頭部の結節、肩部瘤腫、胸部の膿疱、顔面の水疱等、患部はもちろん、その肉体の色、ふくらみ、小皺、毛穴、毛髪等あたかも生けるがごとく、実にぶきみなるほどみごとなる蝋人形なり。

 余ははじめほんものなるかと思い、触るるに固く、いかにしてかくまで見事に腐敗を防ぎしならんとふしぎにたえざるほどなりき。

 三分、五分熟視するに、この蝋人形実物の人間以上に妖しき美、肉感を以て余の情感を襲わんとす。ああ、この手腕を以て天下の美女を製作せば如何。往来三町に見る百人の凡女凡婦の生けるより優れることいくばくぞ。この病的陶酔、この不可思議なる恍惚、余ははじめてポーやボードレールの感興を悟り得き。

「戦中派不戦日記」 山田風太郎著 講談社文庫 1985

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