女馬賊 中島茂子

女馬賊の中島茂子は、孫文が日本で中華革命党を結成し、中国に渡るとき、日本から一緒に同行した福島県出身の看護婦でもあった。中国に渡った後、満州馬賊に転身し、満州各地に点在していた馬賊や河賊を、関東軍に帰順させていくことで、大いに貢献した満州女馬賊の大物でもあった。

そして当時から、身長の王族であった川島芳子に、強い対抗心を燃やしていた。

戦後三十年を経て取材したときも、関東軍に貢献したのは、数々の謀略工作を行った川島芳子より、満州女馬賊の中島茂子だと強調していた。

その満州女馬賊の中島茂子は、太平洋戦争の終戦直後に、山下泰文大将からの密書を依頼され、スターリンに届けるために陸路ソ連に向かった。その途中、毛沢東軍の捕虜になり、そのまま戦後三十年間、中国で監禁状態のまま拘束されることになった。

三十年後に釈放され、日本に帰国した女馬賊の中島茂子と、東京上野のレストランで食事を取りながら、本格的に取材に入る前段階の雑談を、中島氏と土肥静加氏、私の三者で何度か繰り返し席を持った。そのときの雑談のなかで、ピアス・アパート四階四十七号室の里見機関代表里見甫の名が、上海裏社会の大物実力者、『中国大陸の阿片総元締め』として度々話題にのぼった。

それ以来、里見機関代表里見甫に関する資料収集が始まることになった。

余談になるが、中島茂子氏とは、本格的な取材の当日に、本人が姿を消して会えない状態なった。伝え聞いた情報では、取材当日に台湾に飛び、そのまま姿が消えたと聞いている。そのため取材は、出来ないままになった。

「阿片王一代―中国阿片市場の帝王・里見甫の生涯」千賀基史著 光人社 2007