「ドグラ・マグラ」という言葉は、言わずと知れた夢野久作が構想・執筆に10年以上の歳月をかけた長編探偵小説のタイトルであり、同作の作中に登場する「五寸ぐらいの高さに積み重ねてある原稿紙の綴込つづりこみ」の表題として記されたものでもある。
この「ドグラ・マグラ」という言葉について作者の夢野久作は作中で次のように解説している。
このドグラ・マグラという言葉は、維新前後までは切支丹伴天連キリシタンバテレンの使う幻魔術のことをいった長崎地方の方言だそうで、只今では単に手品とか、トリックとかいう意味にしか使われていない一種の廃語同様の言葉だそうです。語源、系統なんぞは、まだ判明致しませぬが、強しいて訳しますれば今の幻魔術もしくは『堂廻目眩どうめぐりめぐらみ』『戸惑面喰とまどいめんくらい』という字を当てて、おなじように『ドグラ・マグラ』と読ませてもよろしいというお話ですが、いずれにしましてもそのような意味の全部を引っくるめたような言葉には相違御座いません。……つまりこの原稿の内容が、徹頭徹尾、そういったような意味の極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな……一種の脳髄の地獄……もしくは心理的な迷宮遊びといったようなトリックでもって充実させられておりますために、斯様な名前を附けたものであろうと考えられます
出典:「ドグラ・マグラ」夢野久作 1935 (青空文庫)
この「ドグラ・マグラ」という言葉、基本、夢野久作の小説のタイトルとして使われることがほとんどだが、国立国会図書館デジタルコレクションを彷徨ってたら、書名以外の用途で「ドグラ・マグラ」の語を使用している例を見つけたのでメモしておく。
一つは、能楽評論家の坂元雪鳥が、雑誌「能楽」に掲載した「天邪鬼日記」で、4月28日の記録に「ドグラマグラ」の語を使用している。
四月二十八日 午前女子大へ。有志學生稽古をしたいと申出るってペンを執る事暫く出かける。 用達し二三、京橋明治ビル中央亭で催される夢野久作君の全集刊行記念會に行く。 丁度同君の四十九 日に祝賀會は少々ドグラマグラ式である。
出典:「天邪鬼日記」坂元雪鳥 -「能楽 1936年6月号」能楽発行所(NDL)
黒白書房版の夢野久作全集の刊行記念会に出席したことに関する記述の中で、祝賀会がちょうど夢野久作の四十九日にあたることを「ドグラマグラ式」と表している。坂元雪鳥がどのような意図で「ドグラマグラ式」という表現を使用したのか正確なところは判らないが、久作が作中で解説しているような「極度にグロテスクな、端的にエロチックな、徹底的に探偵小説式な、同時にドコドコまでもノンセンスな」という意味で使用したものと思われる。
もう一つ、東洋思想家の安岡正篤の呼びかけで結成された全国師友協会が出していた雑誌「師と友」の1961年1月号に、井上蘆城という人が書いた「自治人宣言」という文章が掲載されているが、ここにも「ドグラマグラ」という語が使用されている。
個人的に見ても、社会的に見ても、国家的に見ても、国際的に見ても、動物的・悪魔的闘争主義が用いるドグラマグラは、万端の迫害中傷を加え来るであろう。それは百度でも千万度でも、日本の歩みを困難に することであろう。だが、自治人は進む。自治の大の下に毅然として漸進する。 『勝利の秘訣 克己に在り』
出典:「自治人宣言」井上蘆城 - 「師と友」1961年1月号 全国師友協会(NDL)
こちらは、幻魔術、手品、トリック的な意味での用法であろうか?
井上蘆城という人の詳細はよく判らないが「久留米人物誌」篠原正一 菊竹金文堂 1981(NDL) の調雲集の項に名前が出てくることから久留米出身(ないし関わりのある)人と思われる。文章は夢野久作とは何の関係もないものなので、もしかすると夢野久作経由ではなく長崎地方の方言として「ドグラマグラ」の語を用いているのかもしれない。
いづれも「ドグラ・マグラ」ではなく、中黒のない「ドグラマグラ」という表記なのも気になる。
2024-10-16 追記
いつ夢に反転してしまうかわからない不安定な世界。 夢すらも入れ子になっていて、 夢の中にもうひとつの現実があり、どれが本当の自分であるのか、 結局、 わからない。安定した 「近代」 の秩序から一歩外へ出れば、そこはドグラ・マグラな (わけのわからない) 世界なのである。
出典:「福岡の芸術/芸能的土壌」梁木靖弘 -「明日へのJCCA」202 建設コンサルタンツ協会 1999-01 (NDL])