「SMの思想史」 河原梓水 青弓社 2024
1950年台から60年代初頭の「奇譚クラブ」、特に当時「奇譚クラブ」の投稿者として名をはせた吾妻新と沼正三の二人を中心に(高橋鐵のような外部からの精神医学や性科学てきなアプローチではなく)当時の当事者たちによるSM論を読み解くというもの。「家畜人ヤプー」の沼正三はともかく、一般的にはほぼ名を知られていない吾妻新についてここまでキチンと論考されたことがあっただろうか?
内容も丁寧な読解でありがちな著者の考えが先走ったような強引さもなく納得のいくもの。沼正三の「家畜人ヤプー」についてはいろいろな人がいろいろ語りつくしてきたけれど、これほど明確なすっきりとした解説はなかったのではと思う。
個人的には吾妻新に近代化され合意に基づく脱病理化された遊戯としてのサディズムについては今一つ腑に落ちないものを感じる。当事者として生きる上において必要というのは十二分に理解できるが、自身の倫理観に基づく内なる欲望のコントロールの話で、どちらかというと社会生活を送る上でのマナー、処世術のようなものではないのかという気がする。吾妻新の性的嗜好は狭義の本来の語義的な意味でのサディズムというよりも、もっとフェティシズムに近いマゾヒズム的な関係性萌えとでも言うべきもののように見えるので、自身の中であまり葛藤のようなものは感じなかったのかもしれないが。
あと、最後の古川裕子の「暴力か愛か」という話は「レイプかそうでないか」と同じくマゾヒストである古川裕子にとってそれはそれまでの過程における文脈において明確であるが、サディストである吾妻新においてはそれが判らないということではないのかなぁ・・・
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